2009年の秋口から冬にかけて、東京ではいろいろな展覧会が開かれている。青山の根津美術館が新装なったのは、本ホームページでも先日ご紹介した。9月5日から10月にかけて、板橋区立美術館では「一蝶リターンズ」と題して江戸期の絵師、英一蝶(はなぶさ・いっちょう)の重要作が展示された。
話題にならなかったが、これは見事!と思ったのが、東京国立近代美術館の工芸館で開催された「染野夫妻陶芸コレクション」展だった(11月3日まで2ヶ月間開催)。
染野義信・啓子夫妻が集めた、バーナード・リーチ、濱田庄司、荒川豊蔵ほかの名作が一堂に会したのだが、会場である工芸館の隣りの近代美術館(本館)ではゴーギャン展で大賑わいなのに、こちらはひっそり。しかも観覧料が200円と低価格だから、内容はどうなんだろう? と思いきや、これが素晴らしかった。濱田、豊蔵らに加えて三輪壽雪(みわ・じゅせつ)、加藤土師萌(かとう・はじめ)らの手になる昭和〜平成の名作・秀作群は、時代を超えんとする気迫がその茶碗や皿たちに乗り移ったかのようだった。
10月6日からは、今年最大の展覧会であろう「皇室の名宝 日本美の華」(東京国立博物館)が1期と2期の2回に分かれて開かれた。なにしろ「御即位20年記念特別展」である、1期が狩野永徳、伊藤若冲、円山応挙らの皇室ゆかりの傑作群、2期が「正倉院宝物と書・絵巻の名品」であり、まさに「圧倒的」としか言いようがなかった。
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10月10日から12月20日まで、白金台の畠山美術館で開催されているのが「戦国武将と茶の湯」である。
サブタイトルに「信長・秀吉ゆかりの品々」とあり、同美術館が誇る茶道関連の優品が展示されている(ただし、牧谿<もっけい>の筆とされる国宝「煙寺晩鐘図」は、11月21日〜12月6日の期間だけのお目見え)。
重文の「唐物肩衝茶入(銘・油屋)」、重要美術品の「井戸茶碗(銘・信長)」などが、30数点、小さなフロアにちんまりと並んでいるは、人の群れをかき分けて観る「皇室の名宝」展とは大違いで、なにより落ち着いた気分で作品の接することができた。
出品されているのは、たとえば、千利休作「茶杓(銘・落曇=おちくもり)」。秀吉が利休に直せと命じたが、結局は櫂先の出来が気に入らず投げ捨てられたという、いわく付きの茶杓だ。
秀吉の陣羽織から作った豪奢な帛紗。
信長が口をつけたであろう勇壮な気配漂う大井戸「信長」。
「油屋」においては、茶入蓋が3つ、仕覆が(今回展示されていないものも含め)総計6つもあり、利休の添え状付きという念の入りようの名物である。
つまり、それぞれの名品が、なにがしかの物語(来歴)を持っていてこそ名品中の名品であることを、これらは教えているのである。
本能寺の焼け跡から出てきたという茶入(銘・円乗坊)も、その典型の一つであろう。ご存知のように円乗坊宗円とは、還俗して利休の娘婿になる本能寺の僧侶のことだが、かの大事件のあと、彼はこの茶入を肌身離さず首から下げていた(その入れ物まで展示)…なんて、茶の道の先駆たちがお茶請けに好むストーリーがここにもある。
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11月23日から来年の1月17日まで開かれているのが「特別展 いけばな 歴史を彩る日本の美」である。京都開催を終えて、現在は東京都江戸東京博物館へその場を移した。
すでに本ホームページで紹介したように、「いけばな」の起こりから、この日本独自の文化がどのように変化を遂げてきたかを数々の歴史的文書、絵画などによって紹介する。
仏前の供花として、あるいは京都の「やすらい祭」などに見る、花の霊力による厄払いとしてスタートしたのが「いけばな」だった。時代を経て「いけばな」は諸権力と結びつき、江戸時代に入ってはついに庶民の生活へ溶け込んでいく。しかしこれらの歴史は、すべてが男性が主体であって、「いけばな」が女性のたしなみとなったのは江戸時代の後期以降のことだった。
例えば1776年(安永5年)に出版された『女教大全姫文庫(じょきょうたいぜんひめぶんこ)』という、絵付きの女性用教訓ガイドブックには、次のような文書が出てくる。
「花を見るも懸物を見るもそのまへの畳のはしに左の手をつかえ見るへし。床前の畳へのるべからず」…だそうで、続いて、みだりに微笑んじゃいけない、ただハートで感じること、とある。そして傍のイラストには、床に飾られた花を、いくぶん立てヒザにした女性が「あら、きれいねぇ」とシナを作り眺めている風情で描かれており、神仏・霊力と密接な関係にあったこの文化が、江戸期の大衆社会においてはドラマチックに変容していることがわかる。21世紀のニッポンからすれば、やっぱりこれくらい俗っぽいほうがいい…と思うのですが。
コンピュータ・グラフィック(CG)で、分りやすく映像化されていたのが、「池坊専好(初代)大砂物」である。
1594年(文禄3年)、秀吉が前田利家の邸宅へやってきた(これを、御成=おなり、という)。この時、初代専好(せんこう)が織田有楽斎の指導のもと、秀吉を喜ばせるために花を立てたのだが、その最大のミモノが大書院三之間だった。なんと7メートルほどの床の前に、巨大な枝ぶりを誇る松をドーンと配置! この太く曲がりくねった松の枝を前から眺めると、後方の掛け軸に描かれた猿たちが、ちょうど乗っかって遊んでいるように見える、という趣向である。
この「大砂物」は、当時「池坊一代之出来物」と評判を取ったそうだが、CGで見る限り、秀吉のド派手好みに負けじと専好が大花火を打ち上げた、というところだろう。
ある意味、これは極めて現代的な作品である。というのも、デカい、ハデ、カネを掛けている…こういうことは、お茶にしてもお花にしても、言葉としては下品とされているが、実際は今でも大いに世間にまかり通っている。各種大イベントにおいて、ナゼにこんな代物が? という疑問がつきまとうではないか。その原点というべきものがこの「大砂物」ではないだろうか。
秀吉の安土桃山は遥か昔に終わったが、今に変らぬセンスもある。「大砂物」は歴史的な事件なのかも知れないが、今の時代から、これをどう評価するかが何より大事のはずである。由緒ある「いけばな」も、紆余曲折を経て、今にまで至っていることを教えてくれた展覧会だった。
(文・TADASHI / 2009年11月24日)