千利休に対する再評価が(ちょっとだけ)始まっているようだ。
昨年(2008年)の秋、別冊太陽は『千利休―「侘び」の創造者』 (日本のこころ 155)を出した。雑誌『PEN』は2009年2月15日号で「千利休の功罪 日本初のクリエイティブ・ディレクター」という特集をやっている。そして山本兼一が小説『利休にたずねよ』(PHP研究所、2008年11月)で140回直木賞を受賞した。
茶道を知らずとも、千利休は日本史に名を遺す文化人として大変に名高い。いわゆる「侘び茶」を確立し、秀吉に切腹を命じられるまで、彼は数々のドラマを「演出」したのである。ただし、あれがすごい、これが驚きという逸話の積み重ねよりも、何より大事なのは、その後の日本における美的感性を彼が決定的にしてしまったことである。たとえば、ジミ〜な花入に、まだツボミの寒椿をそっと投げ込むその行為を美しいと思う感性だ。『PEN』の特集は、そのあたりのポイントを、ライター、編集者がちゃんと理解していないことが文章にはっきりと表われて、まぁ簡単に言えば、利休を現代のカタカナ言葉に閉じこめんと声高に叫んでいるだけの内容となっていた。
山本兼一の『利休にたずねよ』は、その点さすがに違っていて、利休美学のルーツには(私たちが思ってきたよりもずっと)朝鮮半島の文化があるはずだとゆっくりとイメージさせていく。たとえば秀吉ほか誰もが瞠目した緑釉の香合。千利休が肌身離さず持っていたというこの香合は、朝鮮半島から連れてこられた高貴な女性の形見だった…いやいや、こんな美女が利休の隣にいて、こんなスーパー大名物の香合を彼が秘匿していたなんてことが事実かどうかは知らぬが、物語は忘れ得ぬ女性の小指の骨と爪を茶室で焼くシーンから始まる。
それは千利休の切腹直前の出来事。利休は、その死の場においても「朝鮮の美」を忘れることができないのだった。
『利休にたずねよ』は構成も面白い。死の直前から項を区切り、少しずつ時代をさかのぼってゆくのである。利休が完成させた美学、思想体系のワケを、著者は過去をたずねることで解きほぐしていこうとする。各項、主人公となる人物も異なる。秀吉、古田織部、家康、石田三成、長次郎…そして若き日の利休、すなわち千与四郎。利休自身の心の動きをふくめ、利休なる存在を多角的に語ってみようという試みである。
400余ページの中に、(本HPの別項でも触れている)花入ほかたくさんの逸話、秀吉のジェラシーとネタミ、茶の作法、織部らとの友情…そして現存しない聚楽第の内装と、それぞれがずいぶんと調べて、そして想像をたくましく描き込まれている。
世間一般にある利休評価に疑問を抱く著者ならではの、好著と言えるだろう。
(文・TADASHI)
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小説『利休にたずねよ』(山本兼一著)